40歳の誕生日「時間」について改めて考える
本日、40歳になりました。
人生80年とすると半分です。(最近は人生100年時代とも言われるので、そうしたら40%消化)
いずれにしても、もういい大人ですね。
子守をしながらも、1日「時間」について、考えてました。
妻と子供3人。休みの日は、本当慌ただしくて、
落ち着いて物事をする時間が足りないって感じてます。
また仕事の日も、充実はしているものの、
もっと自分の時間を持ちたいと感じてます。
好きな家族と一緒に過ごしているのに自分の時間が足りない?
仕事が充実しているのに自分の時間を持ちたい?
やってることには満足しているはずなのに、一方で満ち足りていない自分がいる、ここには矛盾があるといつも思います。
最近は、「この時間無駄だった」と感じることがめっきり減りました。
(くだらないのにやらざるを得ない仕事はまだあるので、その瞬間は時間返せーって叫びますが・・・)
でも足りていないんです、時間が。
やりたいことが多いんですかね。あれもこれもと手を出す。
やりたいこと、気になっていることなので、無駄な時間とは思わない。
それでも本当にやりたいことができているかというと、そこは疑問。
このままではきっと永遠にそうなりそうです。
そこでこの状況を打破すべき、これまでに学んだ「時間」について改めて考え整理してみました。
「時間」それは、皆に平等に与えられた不可逆的なもの
「時間」それは、本来、何に使うか、自分が決めるもの
「時間」コントロールできるのは、過去でも未来でもない、今だけ。
「時間」同じだけの量を費やしても、結果が異なる。
限りある「時間」、いつでも足りないと感じる「時間」。
これを何にどれだけ費やすか。
これを決めるのは、やはり、時間を費やした結果、「得たいもの」の優先順位である。
報酬? 名誉? 充実感? 達成感? 生理的快感? 優越感? 笑うこと? 家族からの信頼? 健康?
よくよく理解できます。
でもその時によって欲求は変わります。
そしてその欲求を満たすために行動します。
一般的には上位にいくほど高次元の欲求となり、目指したいものと考えられますが、果たしてそうでしょうか?
その答えはまだわかりません。
とりあえずそうだと信じて、「得たいもの」←「そのためにやりたいこと、やるべきこと」の優先順位をつけて、時間を充てていきたいと思います。